DOPPELGANGER 260 Parceiro 奥三河ポタリング編 (その1) 2013年11月23日(土)

この秋口は台風の襲来も多く、最高の秋晴れが期待できる週末は久し振りです。
夏以降の体調不良や運動不足、沈んだ気持ちを全て吹き飛ばす(?)くらいの意気込みで週末の予定を考えていましたが、金曜日もお帰りは結局午後10時過ぎ。
準備もあまりできず、土曜日の早起きも億劫な気持ちでゆっくりめのお目覚めでした(^^;;;;
お天気は最高なので遅れ馳せながら準備をしますが、自宅出発は9時頃になってしまいました。
とりあえず今回は「東新町駅」で飯田線に乗って「東栄駅」まで輪行し、そこから自転車で新城に向かうプランを考えていました。
しかし、遠出するのには遅い時間帯となったのと、のんびり走行のファミリーカーや子連れのマイカーが繰り出してくる時間帯のため、新城までは思ったよりも時間がかかってしまいました。
これでは1時間に1本しかない電車の時間に間に合いそうもないので予定を臨機応変(便利な言葉ですね)に変更、車で直接「東栄駅」まで行って自転車で出発し、適当なところ(^^;で飯田線に乗って「東栄駅」まで戻ることにしました。

 

東栄駅の駅舎はカフェが併設されているだけでなく、外観が花祭りの榊鬼に因んで鬼の顔になっているというのが有名ですが、正面から見ても何だかよくわかりませんでした(後述)。

 

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東栄駅の利用者向けの駐車場から出発。(左) 東栄駅の駅舎は向かって左がカフェ。(右)

 

駅を後にして国道に出ると、いきなり今日最大の高低差と急傾斜の「池場坂」の上り坂になります。
ちなみに、河川争奪の舞台とも言われる豊川水系と天竜川水系の分水嶺にあたる「池場坂」は中央構造線上にも位置する地質上の要衝です。

 

準備運動もなく急坂を登り始めますが、最初は「えらくなったらどんどんギアを下げてのんびり行こう」と考えていましたが、夏以降の運動不足のためかすぐにローギアに入ってしまった後は喘ぎながらのノロノロ走行が続きます。
いちばん傾斜のきつい部分を過ぎると第一目的地である、池場の「池之神社」に到着です。
分水嶺にあるということと、高地にもかかわらず池があるということで特別な意味を感じさせる場所ですね。祭神も水にまつわる水分神(天之水分命と国之水分命)とのことです。
池場の地名のもとになった伝説の「竜ヶ池」は神社の脇にあり、いつも国道から見るだけで訪問するのは今日が初めてでした。

竜ヶ池には流れ込む川も流れ出す川もありませんが、深い緑の水は枯れることがなく、池の底は竜宮(それとも諏訪湖だったかしら?)に通じているとか、底を探ろうとすると悪いことが起きるといった伝説があると聞いています。
(しかし、多分2002年の渇水時だったと記憶していますが、ほとんど干からびた姿を見て驚いた記憶があります。)
通りすがりに見るだけでは変化に気付いていませんでしたが、以前は北東側の岸から多くのケヤキの木が池に浸かるくらいまでしなだれかかっていた記憶があったのに、なんだか手前が造成されて広く明るく見える気がします。
土砂の流入のせいかずいぶん浅くなったような気がするだけでなく、今日は水も澄んでいて泥底までが見えてしまって神秘的な雰囲気がちょっと薄れてしまったようですね。


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池之神社。(左) 神秘と伝説の「竜ヶ池」。(右)

 

神社を後にして池場坂の最後の登りを越えると、道幅は広いものの朝露で濡れた路側の白線と二輪ライダーたちに恐怖を与えるコーナーの縦目地サイプと路面の色塗りに肝を冷やしながらの高速ダウンヒル(^^;を楽しみます。(後続車がほとんど来なくて良かった)
下り坂の終盤、右手に亀淵川を分ける地点に林道分岐の橋がかかっています。
車止めのためのチェーンが掛かっている前に自転車を停めて、川の名前のもとになっている「亀淵」に寄り道です。
川合生まれの先輩に聞いた亀淵の悲話というのがあって、長篠の合戦に赴いた武田勝頼の後を追ってきた女性「おせん」が、長篠に着く前に武田軍が敗れたのを知って悲嘆にくれ、亀淵の深い滝壺に身を投げたというような話だったと思います。
亀淵の滝壺には「亀岩」と呼ばれる岩が沈んでいて、おせんさんの情念が岩になったと言い伝えられているとか。
飯田線の高架をくぐった林道の下には、マラカイトグリーンの水を湛えた滝壺が人目に触れることなく、今もひっそりと隠れています。

現在ではとても広い池場坂の国道151号線の道路ですが、今も一部に狭い旧道の面影を残す部分があり、そこが路肩の待避所になっていたりします。
林道の分岐のあるすぐ近くの少し広くなった路肩の斜面に小さな石造の供養塔のようなものがあり、女性をかたどった像と、詩を墨書きした札木がありました。
20年ほど前に訪ねた際には読み取れた墨の文字も、今では薄れて見えなくなっていました。
記憶をたどると…

 

川合亀淵 篠雨降れば おせん涙と思し召せ

 

ネットなどで検索してもヒットしないこの地域限定のお話かもしれませんが、全国的に有名な「長篠の合戦」の裏に隠された秘話ともいえますね。

 

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亀淵のマラカイトグリーンの滝壺。(左) 実際の関連は不明ですが、秘話を連想させる供養塔。(右)

 

再び国道を下ると川合の集落で、その名の通り亀淵川と宇連川の合流地点です。
国道から分かれて川合の街中を通ると、以前は気付いていなかった「消防団詰所」の建物が目に入りました。
コロニアル風?の洒落た造りのうえに小さな望楼まであり、真新しい看板によると新城市指定文化財になっているとのことです。
更に青春時代、山岳部の懐かしい思い出がある「三河川合駅」にも寄ってみますが、こちらはつい最近立て替えられたようで記憶とは全く違うモダンな建物になっていました。

 

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右からの亀淵川と宇連川が合流する「川合」。(左) 川合の旧道沿いにある消防団屯所。(右)

 

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キノコ頭登場(^^)「三河川合駅」にて。(左) 秋色に染まり始めた渓谷。(右)

 

いったん国道に出て、すぐに線路沿いの道に入り、ここから三河大野まではずっと川沿いの道を行く予定です。
右は線路を隔てて急な斜面や断崖が続き、左に目を転じると「板敷川」の別名のある「宇連川」の平らな川床が続き、秋の好天もあって素晴らしい風景を楽しむことができます。

もちろん国道を走っていては見られない、細道を自転車でのんびり走行しているからこそ眺められる絶景に違いありません。

途中、川の中を岩脈が横切る場所があり、川岸に下りて昼食をとったあとで再び川沿いの道を進むと、工事の車両で道が塞がっていましたが、移動して少し脇を開けてくれたので自転車なら通れました(バイクは無理だけど)。

 

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宇連川の渓谷美を彩る秋色。(左) 右岸の切り立った岩壁に張り付くように走る飯田線の線路。(右)

暫く進むと「柿平駅」を過ぎ、「工事中(本日は通れます)」の看板を確認して踏切を渡り、柿平集落の中を進みます…が、集落の先で通行止め。あれれ?通れると書いてあったはずだけど?
工事中の区間は右岸の山と宇連川に挟まれているため迂回できず、残念ですが引き返します。
途中、ちょっと脇道へ入ってみたりしますが、やはり駅前の橋以外では対岸に渡ることもできず、神社や集会所を確認して駅前の橋まで戻りました。
橋を渡って国道に出るところでよく見ると、国道側には「通行止め(槙原方面には通行できません)」との表示がありました(^^;。

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素朴な信仰を覗わせる石仏・役の小角・青面金剛像。青面金剛の側面には「柿平村中」との刻印。(左・右)

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柿平の集落を分断する飯田線の切通し。跨線橋と水路橋。(左) 柿平橋からの渓谷美。(右)

少し国道を進み、県民の森への分岐から「三河槙原駅」に向かいます。
「三河槙原駅」も山岳部時代の思い出の駅ですが、ここも小さな真新しい駅舎に建て替えられていました。
駅から西には「屏風岩」が垂直の壁を見せていて、昔は脇にある素掘りのトンネルを抜けて林道を歩いて棚山に登っていました。
久し振りにトンネルを通ると、以前は岩壁に柱状節理がはっきり見えて説明の看板もあったのですが、今ではコンクリートが吹き付けられていて柱状節理は見ることができません。
右岸の屏風岩と、左岸の岩峰はかつての「鳳来寺火山」の活動で溶岩が貫入した名残りで、琵琶淵や槙原川、宇連川などで分断されながらも明神山方向へとつながる大岩脈の一部です。
県民の森にある岩壁や滝、鳳来湖周辺で見られる穴滝岩脈や上臈岩、障子岩岩脈などの奇景を生み出した原動力も鳳来寺火山(設楽火山群)の活動です。
※鳳来寺山が火山という意味ではなく、鳳来湖周辺を中心にカルデラ湖の痕跡も含めた火山性の地下構造があるという意味です。

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三河槙原駅前から見る屏風岩。(左) 屏風岩を貫く素彫りのトンネル。(右)

屏風岩のトンネルを抜けた先で槙原川を渡り、夏にはバーベキューや簗などで賑わう琵琶淵を尻目に、更に渓谷美を見せる川沿いをのんびり写真も撮りながら進みます。

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川床と繋がっていない残され岩。(左) 岩脈が横切る先には更にポットホールも。(右)

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松を生やした大岩は水墨画の世界です。(左) 深い淵。(右)

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湯谷園地の笠岩橋から上流を。(左) この辺りもそろそろ秋色です。(右)

湯谷園地とつながる吊橋を過ぎ、湯谷温泉の賑わいを抜けると静かな道となり、宇連川が大きく屈曲する辺りが桐谷の集落です。
左手から東海自然歩道が合流しているので、東海自然歩道に向けて左にハンドルを切ります。
川に向かって下ってゆくと、歩行者専用の「桐谷の吊橋」の前に出ます。
歩行者専用というのは橋を渡った先が切り立った崖になっているため、階段で国道に上る必要があるためです。

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東海自然歩道のルートとなっている「桐谷の吊橋」。(左) 再び登場。(右)

 

橋を渡って左手の「桐谷の不動滝」にも寄ろうと思ったら、崖崩れのため通行止めとなっていました。(すぐそこに見えていますが…)

自転車を担いでつづら折れの階段を登って国道に出て、渡った先で大野の旧道に入ります。

大野の街は伊那街道の宿場として栄えた場所で、古い町並みや旧大野銀行の建物がカフェと資料館として整備されているとのことです。いつも川沿いの新道を通り抜けてしまうため、実際に訪問するのは初めてです。

 

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旅籠の「若松屋」。(左) 重厚な構えの旧大野銀行の建物。(右)

 

通り沿いには旧東海道の宿場のような連子格子の旧家があちこちに見られ、短いながらもなかなか雰囲気の良い町並みです。

新聞記事などでもよく見ていたところなので、もっと早く訪れれば良かった(^^;

 

町並みを往復し、橋を渡って三河大野駅に寄って電車の時間を確認すると、あと10分後くらいに到着する電車があるようなので、ここから東栄に戻ることに(ずいぶん早いお帰り(^^;)しました。

大慌てで自転車を輪行袋に納め、ホームに向かいました。

ひと心地ついてから時計を見ると、そろそろ電車が来てもおかしくないのに一向にその気配がありません。更に予定より10分過ぎても電車は来ず…。

なんだか不安になってもう一度時刻表を見に行くと、単純に時間を見間違えていただけでした。

実は次の電車まであと40分近くありました…ここにも脳細胞減少の影響が?

ずいぶん時間のロスで、せめて「本長篠駅」まで行けば「旧黄柳橋」なんかも見られたのにな、とちょっと後悔してしまいましたが、自転車も畳んでしまったことだし、のんびり写真の確認でもしながら電車を待ちます。

 

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三河大野駅も新しく建て替えられていました。(左) 輪行態勢、ホームで電車を待つ。(右)

 

やってきた飯田線に乗り込み、車窓の風景を眺めながら東栄駅まで戻りました。

実際、飯田線に乗ったのって10年振りかしら(^^;

 

東栄の駅で降りる人が多いのに驚きでしたが、どうやら都会の大学生の団体さんらしい人達が大勢乗っていたようです。しきりに「凄い田舎だな。」みたいに感心していた。

ホームから振り返って駅舎を見ると、やっと朝に感じていた疑問が解けました。

駅舎のデザインは、ホームに降りた人に向かって鬼が大きな口をあけているかのようなイメージで出来ていました。

確かに、駅に到着した人に向けたデザインをするのが当たり前でしたね(^^;

降車したお客さんは、鬼の口の中(ずいぶん左寄りだけど)に吸い込まれて行きます。

 

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東栄駅のデザインはやっぱり「花祭りの榊鬼」でした。(左) 今日はどうもありがとう。(右)

 

日差しが西に傾いてきたため、気温もやや肌寒さも感じる時間帯となっていたので結果的にちょうど良い戻り時間だったようです。(大野駅でのロス時間が悔やまれるけど。)

 

次はもう少し時間の余裕を見込んで、計画的に進めたいと思います。

 

----------次回に続く(カモ)----------